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ようこそ、「オサムの映画日記」へ。 このたび、5年ほどHPで書きためていた映画の感想をブログへ移動しました。 10ヶ月ほど休んでいましたが、リニューアルして再開します。 以前は、ほぼ毎日書いていましたが、今後は週1〜2回のペースでと思っています。 初めての方も、以前のHPをご覧下さっていた方も、よろしく御願いします。 私なりにカテゴリ分類をしてみました。 ご興味がある方は、カテゴリ別でご覧下さい。 # by osamu-miya | 2007-12-31 00:15
●ひと夏の出会いと別れ
宮本輝の処女作(収録作品・初出:文芸展望18号 1977年7月)を元に、少年少女た ちのひと夏の出会いと別れが切々と描かれた、小栗康平第1回監督作品。 “切なさ”は他動的に受ける感情である。観ていて切なさを感じる映画には、少女 と負傷兵の出会いを描いた「ミツバチのささやき」(フランス 1973)、人との触れあ いに満ちた「サンドイッチの年」(フランス 1987)、子どもが凝視した「落ちた偶 像」(イギリス 1948)、「禁じられた遊び」(フランス 1952)の少年と少女に重ねた反 戦への静かな訴え、「自転車泥棒」(イタリア 1948)の父親と少年の絆などの名作が 目に浮かぶ。 さて「泥の河」は自主製作、自主公開という小さな取り組みから始まったこの国、 日本に生まれた映画であり、ヨーロッパ、アメリカ合衆国はもとより、旧ソ連邦、中 華人民共和国中国や、アジア諸国にまでの配給網が拡げられ、製作から二十年余を経 た今日でも、人々の心に残る映画である。 ● ストーリーは大阪安治川河口が舞台 敗戦・終戦から十年後の大阪。河口近くで食堂を営む晋平夫婦(田村高廣、藤田弓 子)の一人息子(信雄:のぶちゃん)と、廓舟(売春宿)の笙子の娘(銀子)と息子 (喜一:きっちゃん)との出会いと別れが描かれる。主人公の信雄は小学校三年生。 近所の人たちは喜一と姉、母(加賀まりこ)に冷たい視線を送る。「あの舟には子 どもの知らない大人の世界がある。見てはいけない」・・・・・・これは周囲の人々の囁き である。だが信雄は懸命に生きる一家にひかれていく。信雄の両親は、そんな信雄を 優しく見守り、喜一と姉を夕食に招き、温かい風呂に入れてもてなす。特に父親の田 村高廣が、落ち込む姉弟を自慢の手品で励ます演技は、優しさがスクリーンから溢れ るばかりだ。彼は妻に「子どもはなあ、親を選ばれへんのや」と大阪弁で語る。 物語は悲しい別れで終る。それは祭りの夜、喜一の母が男に抱かれる場面を偶然だ が信雄に視られてしてしまうからだ。翌朝、一家は舟を出し、河口から去る。喜一の 母親は、見られたくない場面を見られてしまった。知られた以上はと・・・・・、母親の 自尊心の引き際が光る。主人公の信雄が娼婦の息子との交流を通じて成長する姿がそ こにある。 少年の両親、食堂に集う近所の人々、戦後復興期の河口の人々の生活が、モノクロ 画面で見事に再現されている。 喜一が乗る廓舟は岸を離れた。「きっちゃーん!」と呼びながら追い続けた信雄の 悲しみの感情を、小栗康平は“信夫”の人生に結びつけたのだ。その後の繁栄と崩壊 を予兆するように両岸の家並みの暗い谷間に舟は消えていく。 ●『泥の河』が生まれた 1956年(昭和31)という時代は・・・・・ 隣国の(朝鮮)動乱による特需を足場にして、この国日本は高度経済成長へと向かお うとする時間帯であった。くだんの食堂に毎日立ち寄っていた荷車のオッチャンが事 故死し、残された荷車には鉄屑が積まれていたが、その置き去りにされた荷車から鉄 屑を盗もうとしていた少年が喜一。喜一の亡父:戦争体験者の父が口ずさんでいた “歌”が、九才の“きっちゃん”の愛唱歌になっている挿入場面は、1956年とは“あ の戦争”がまだ終わっていないことを、ここでも訴えたかったのが小栗康平の心境な のであろう。因みに1956年には羽仁進の「絵を描く子供たち」が公開されている。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ■「シネマライティングの試み」【*趣意の詳細は巻末*】 問いかけ/いまの子どもたちは、親や多くの大人たちから「戦争」にまつわるいろい ろなことを聞かされて育っていると思う。反戦、そして平和への願いは非難を受ける ことのない価値観として謳われるが、同時に時間はこれを風化させる。『泥の河』は 風化を旋回させる「静謐な河」の一つであろうか。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ■参考【credit title ほか】 ◎『泥の河』(1981) スタッフ/キャスト 原作:宮本輝 製作:木村元保 出演:田村高廣、藤田弓子、芦屋鴈乃助、他 ◎小栗康平監督作品 『泥の河』1981年。 『伽な子のために』1984年。脚本兼任。 『死の棘』1990年。脚本兼任。 『眠る男』1996年。脚本兼任。 『埋もれ木』2005年。脚本兼任。 ◎受賞歴 1981年 - 『泥の河』 モスクワ国際映画祭 銀賞。 芸術選奨文部大臣新人賞映画部門。 第36回毎日映画コンクール最優秀作品賞、最優秀監督賞。 日本映画監督協会新人監督奨励賞。 第55回キネマ旬報賞日本映画監督賞。 ブルーリボン賞作品賞。 1982年 - 『泥の河』で 第5回日本アカデミー賞最優秀監督賞、優秀作品賞。 1984年 - 『伽な子のために』で ベルリン国際映画祭 国際アートシアター連盟賞。 ジョルジュ・サドゥール賞(フランス、日本人初受賞)1990年 - 『死の 棘』で第43回カンヌ国際映画祭 審査員特別グランプリグランプリ・カンヌ1990。 第43回カンヌ国際映画祭 国際映画批評家連盟賞。 芸術選奨文部大臣賞 映画部門。 1991年 - 『死の棘』で 第14回日本アカデミー賞優秀作品賞、優秀監督賞、優秀脚本賞。 1996年 - 『眠る男』で 第47回ベルリン国際映画祭 芸術映画連盟賞。 第20回モントリオール世界映画祭 審査員特別大賞。 第38回毎日芸術賞。 第20回山路ふみ子文化賞。 第70回キネマ旬報日本映画監督賞。 1997年 - 『眠る男』で 第20回日本アカデミー賞優秀監督賞。 ◎1956年の出来事 (出典:『Wikipedia』から抜粋) 2月6日 :初の週刊誌「週刊新潮」(2月19日号)が新潮社創刊。 6月28日 : ポズナンでポーランド反ソ暴動起こる。 9月1日 : 横浜市、名古屋市、京都市、大阪市、神戸市の5市が初の政令指定都市となる 10月23日:ハンガリー動乱が勃発する 10月19日: 日ソ共同宣言 12月18日: 日本が国際連合に加盟 ◎小栗康平 (出典:『Wikipedia』から抜粋) 小栗 康平(おぐり こうへい、1945年10月29日 - )は、群馬県前橋市出身の映画監 督。群馬県立前橋高等学校、早稲田大学第二文学部卒。 1981年に『泥の河』でデ ビューする。フランスのジョルジュ・サドゥール賞を日本人として初受賞。浦山桐 郎、山本迪夫、大林宣彦、篠田正浩等の助監督を務めた。
(1993年ユーロスペース配給)
●“素朴さ”とは何か? 映画は政治や教育問題と同様、誰もが批評できるメディアの一つであろうか。い ま、「友だちのうちはどこ?」を子どもと保護者、教員に観せたら、どんな反応を示 すか興味深い。それは“素朴さ”とは何か?を考えるには最適な対象と思えるからで ある。 はたして多くの知識や経験を積んだ“おとな”が、現象学的エポケー(判断保留) に出会うことになるのか?、あるいは身につけた知識を放棄するほどに感激するの か、そしてまた、本篇に登場する“子ども”と同世代のこの国の“子どもたち”はど のような感想を持つのだろうか。多様な目線が興味深い。 『友だちのうちはどこ?』:原題「KHANE-YE DOUST KODJAST?」、「Where ls the Friend's Home?」は、1989年のロカルノ映画祭では5つの賞を総なめにし、アッバス ・キアロスタミ監督の名を不動のものにした傑作と云われている。 “あらすじ”はイラン北部の小さな村の学校が舞台。授業が終わった直後、隣の席 の子が駆け出して転び、その手当をした主人公の少年が、間違って自分のとよく似た 彼のノートも一緒に持ち帰ってしまったところからが大筋。 ●『友だちのうちはどこ?』への多様な眼差し イラン映画の評判と水準の高さが、わたしたち日本人の間で急速に話題になったの は、アッバス・キアロスタミと彼の作品からと思われる。彼の三部作といわれる作品 には『友だちのうちはどこ?』(1987),『そして人生はつづく』(1992),『オリーブ の林を抜けて』(1994)があるが、配給の(ユーロスペース)がこの国に『友だちのう ちはどこ?』を紹介したのが1993年。したがって作品の完成から6年を経て日本にお 目見えしたことになる。 次に、ざっと『友だちのうちはどこ?』のストーリーを書くが、極めてそれは単純 である。 ++++++++++++++++ イラン北部の小さな村の小学校。三人掛けの長机を前にギッシリつまった子どもの 一人、モハマッド=レザが宿題を一枚の紙に書いてきたことが発端。「なぜノートに 書いてこなかったのか」と先生の詰問。答えることも充分にできない“モハマッ ド”。先生は彼に「今度宿題をノートに書いてこなかったら退学だ」と怒鳴りつけ、 彼モハマッドが書いてきた「紙」を破り捨てるが、彼は泣き出し弁解する気力もな い。そして先生の思考の展開は一方的に進む。隣席の“アハマッド”は、「友だち」 のこの窮状を見てもなす術(すべ)もない。授業が終わりアハマッドが家に帰り着いた 途端、“宿題をしなさい”と母親の畳み込むような声が飛び込む。彼女に云われてカ バンの中を開けて「友だち:モハマッド」のノートが入っているのに気付く彼:アハ マッド。“そうだ、あのとき、授業が終わり隣席の「友だち」モハマッドが駆け出し て転んだそのとき、自分のノートとよく似た「友だち」のノートも一緒にもって帰っ てきたのだ”・・・・・・・・・。次々に帰宅後の宿題、そして手伝いのノルマを云い渡され る母親の目を盗んで、住所も定かでない「友だち」のうちに彼のノートを返すべく、 午後の遅い時間に(ノートを抱えて)家を出る。たったこれだけの前段の展開の中 に、イランの「学校」「教室」の佇まい、「先生」「友だち」「クラスメート」の表 情、「主人公」そして「母親」の声が躍動を伴って進行する。良質のサスペンス映画 を観ているようだ。 ●夢幻的な風景と現実 この映画では子どもの気持ちとおとな(先生)の考えはそれほどたやすく交錯する ことのない、ズレの構造によって創られていることに観客は気付くはず。 「友だち」のノートを抱えたアハマッドは、わずかな手がかりを元に「友だち」に会 うため、さまざまな人物とすれ違ったり、はぐらかされたり・・・・・・・、夢幻的な風景 が時にリアルに変貌するのは、主人公の不安げな、心もとない表情によって左右され るからか?。結局は「友だち」に会えずじまいが中段。 翌日の教室の描写は実にスリリング。自分と「友だち」の宿題を別々のノートに仕 上げた彼はそっと友だちに「ノート」を渡す。くどくどとした云い訳は画面には顕れ ない。先生の巡回指導が近づく・・・・・。「これは君のではないね」と云われた主人 公、急いで「友だち」に自分のノートを渡してしまったことに気付く彼、しかし冷静 に交換する主人公。先生の合格のサインを受けるシーンが終わり、取り替えた「友だ ち」のノートに先生の手と眼が移る。バレやしないかと息を呑む観客。・・・・・・あたか も自分がその場にいるような「当事者」の気持ちへと持ち込むキアロスタミの「術」 は、まさに冴えて。言語や造形では表しきれない映像世界の特性が編み出した瞬間で ある。 ●おとな向けの映画なのか?、子ども向けの映画なのか? −−−交わることのない「子ども」と「おとな」−−− ところで、子どもを対象にした絵本を手にしたとき、「この本はいったいおとな向 け?あるいは子どものため・・・・・・?」などと戸惑うことがないだろうか?。そんな想 いをさせてくれるのがキアロスタミのこの作品。 映画の全編を通じて「子どもの目」と「おとなの思考とコトバ」は交わること進行 する。そして上映時間一時間二十五分の中で、子ども、学校、先生、家庭、教育の未 来など、あらゆる問題解決を観る側に迫るのだが・・・・。普通のリアリズム映画の場 合、大抵は一本道を上り詰めるように単純な選択肢が用意されるが、『友だちのうち はどこ?』では、イランという国の近代化と子ども観、近代教育と教師像、生活と生 産の現状、そしてイランの経済、伝統、因習、年代差を見せてくれる。恐らく観客は 見終わった後の帰途、あるいは暫く時間をおいてから日本の教育、学校教育や生涯教 育そして子どもの教育へと想いを馳せることと思う。 いま一度、冒頭に近いシーンに戻ってみる。教育機器と呼べるものは、教室の前面 にある小型のブラックボードとチョーク、粗末な机と椅子、そして教師の指導法は読 みと書き、そこから必然的に再生産として生まれる宿題。ここでの教師はまさに厳然 とした存在である。そこには「教員」などというニュアンスのある云い廻しが皆無な ほど、先生はまさに「教える師」として描かれ、そして、一方の子どもは宿題を チェックされる対象者としてそこにある。 子どもは学校という同一年齢の「輪切り装置」の囲いの中で、先生からの下降的な 教えを待つという図式である。 キアロスタミの両者への視点の当て方は、両者ともに公平に扱われており、そこに は両者の対立止揚などと云う欧米的(葛藤)解決の方法は見られず、さらに子どもの 「目線に合わせて」などの児童優先?の思わせぶりな論理の無いことが、かえって子 どもが置かれているイランの現在を観客の心情にあぶり出している。そこから「教 師」と「子どもたち」の関わり、緊張した子どもたちのエネルギーと教師の生物的停 滞の差に、イランの現在を象徴させているようである。 増量されそうなリアリズムを彼岸としているキアロスタミの演出は、リアルタイム のフレームの中に「子ども」「教師」「風景」、そして「音」のそれぞれに独自の主 張をさせ、ダイナミックな空間を観る側に押し出している。映画はプロパガンダの為 にあるなどと云う、時折り浮上する映像非難論とは対極にあることをこの映画は示し ており、(媒体)技術は使う側の意志に左右される「両刃の剣」であり、それの使い 方、使われ方について決定的な選択を見せてくれたのがこの映画であろうか。 ●ゆっくりと一元的アンサンブルがつづく 主人公のアハマッドがわずかな情報しか持たぬまま、「友だち」のうちを探し歩く 様は夢の中の出来事のようなもどかしさを感じさせるが、切り取られたように顕(あ ら)われる人々の会話、そしてアハマッドの気持ちとは別世界の老人たちの会話、ど こかで見たような・・・・・。ああ、小津安二郎の映画に登場する人と人とのトークに似 ているなと。小津映画の影響があるのかないのか、不勉強の筆者には解らないが、な にか日本人の琴線を震わす感情が満ちているのを感じるのも確かである。 一方、子どもの感情とおとなのそれとが別々の世界を歩きながらも、僅かだがおと なの側が主人公の少年に歩み寄る場面、その場面、老人の想い出話をアハマッドに聞 かせる展開には、すでに亡くなった関西喜劇の藤山寛美の語り口がスクリーン一杯に 拡がったようにも感じたが、そんな時には遠いイランとその国の人々の感情がこちら 側にも伝わったことを今も思い出す。 異世代、異年齢、異なった要因を安易な方法によって繋ぐという表現を採らないキ アロスタミの演出には、西欧流の問題解決の一つでもある対立止揚という解決方法よ りも、アジア、それも日本人の思考や伝統に近いものを感じたのは、この映画への筆 者のオマージュが強かったせいかも知れない。 ●子どもへの優しい眼差し 『友だちのうちはどこ?』は異なる要素、つまり「子ども」と「おとな」「風景」 「音」「土の壁」のそれぞれが緊張しつつ連続していることは安易な綜合でもなく、 楽観的な有機的展開でもないことは明らかであり、一つ一つの要素に独自の品格を持 たせていることは、近代子ども観の特性でもある「子どもの目線にあわせて ・・・・・・・・」などの子どもに媚びる態度を少しも見せてはいない。しかしそれでいて 「子どもへの優しい視線」が画面にあふれ出るのは、彼キアロスタミが人間に対して 品性・品格のある立場で(対象と)対峙しているからであろうか。某映画評論家がリア リズムとフィクションの境界を外していると評しているのは、そんなところを見てい るのかも知れない。 日本人一般がこうしたことに気づかなかったその原因が、奈辺にあるのかと想い起 こしたとき、近くは日本の敗戦後、つまり1945年以降、日本人が直線的にひた走りに 走り、何処かでつまづけば都合の良い哲学もどきのスローガンを掲げることにより、 突如として急旋回を行い、これまでに積み上げてきた思考や思索を捨て去って来たの ではないか?、そういう思いがキアロスタミの映画によって観る人々にカタルシス現 象を起こさせたのではないかと思う。 日本の人々が直線的に行動したあげくに崖から転落してしまうのは、1945年以降の ことだけではなく、日本の近代化の始まりでもある明治初期からのことであることを 多くの人々は知っている筈。それにストップをかけられず、1991年8月以降、東側の 崩壊が起こってからも未だに加速が静まらない今日、『友だちのうちはどこ?』はこ の国の人々にとっても貴重な映像と思えるがどうだろうか。 ●映画作家からみた看た教育の現在は・・・・ 日本の学校教育は八ヶ岳連峰の一つになったといわれて久しい。それは生涯学習と いう考え方が次第に制度として定着、学校と肩を並べて「生涯教育」というコードが 固まってきたということであろうか。しかし学校教育はいずれの国においても多くは 「同年齢教育」という特性を持ち、「子ども」と「先生」を中心とした関係がまだま だ続くことは予想される。このことは世界の国々がその国の事情によって教育の営み として様々な形態を採ってはいるが、教える側と教えられる立場との関係が全く消え 去ることはないと思う。ただ両者、つまり子どもたちと教員との関係は多様であり、 現在も難問が持ち上がっていることも事実。そして問題の焦点化が困難であること と、冴えた結論が生まれないのは近代の「子ども像」「教師像」が揺れ動いているか らだと思う。 映画への世間の反応は実に直截的であり、多くの人々の心を打てば作為的なプロパ ガンダなどは吹き飛ばして共感を得ることができるし、逆に内実のないプロパガンダ による動員がなされたとしても、大衆の琴線を打ち鳴らすことはできない。つまり 「子どもの専門家」を自認する教員や自分の子どもに甘い親たちにくらべて、映画作 家キアロスタミのほうが子どもたちをみる眼力に秀でているという証左かも知れな い。無論このことは学校の教員が日々の職務に疲れ、瑣末な現実の対応のために磨耗 しているのに比べて、学校の外側からの岡目八目的な責任の無さもあるのも確かであ ろう。しかし学校専門(あるいはオヤ専門)の立場を離れて、秀でた映画作家からの子 ども観に目を移すのも、いずれの国の人々にも共感可能な、人間として最も品性を備 えた単純さ、それによって誰にでも解る「品性・品格を維持するには」という課題に 巡り会ったようにも思う。 『友だちのうちはどこ?』では、偶然にせよ自分の誤りには自分が決着をつけるとい う、教育が「ねらい」とする品性の在り方を示したことであろうか。夾雑物に身をま とい過ぎた私たちがある種のカタルシスを感じるのはこのことだと思う。 ●「生存の原点」の行方はどこに?。 イランと云う国とそこに住む人々をごく端的にみれば、2500年ほど続いた(抑圧 の)王制。1979年2月11日、市民蜂起の中で王制最後の内閣が崩壊し、革命が成立。 ホメイニ師を頂点とするイスラム法学者が統治する体制では、欧米の文化や価値体系 は排除の対象となりアメリカ合衆国は大悪魔と呼ばれ、ネクタイをしめる姿は西洋か ぶれの象徴となり、しかもイスラム共和党の単独体制が固定する前にイラン・イラク 戦争の開始、1990年9月停戦。前年の夏、ポストホメイニ時代の開幕。そして1997 年、ハータミー新大統領が選出され次なる変革へと。不思議なことに革命後、それま での文学の多くが否定的な刻印を押されたのに対して「映画」だけが一躍、世界の脚 光を浴びたことはなぜ?。それはすべてのイデオロギーを削ぎ落としていることに最 大の理由にあるようだ。シナリオと表現がシンプルであり、政治と一線を画している からでもあろうか。イランにおいては、映画は革命後もそれまでと同じく厳しい検閲 の下に置かれてると聞くが、新聞・書物・テレビ・ラジオなどの他の媒体に比べて、 はるかに自由な待遇を得ているのは、あらゆる検閲や宗教的規制をくぐり抜ける人間 の「品位」に焦点を合わせているからだと思う。また、1980年代後半以降、イラン映 画がフランスを始め欧米において高い評価を受けたことも、イラン国家にとっては 「実のある芸術」であるとの認識を得させたことも確かであろう。日本はイランの国 情や状況とは異なるが、閉塞の現代を突破する示唆をイラン映画、キアロスタミから 受けたことになる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ■「シネマライティング」の試み【*詳細は巻末*】 いま、日本の教育は市場経済をプラットフォームにして「生きる力」、さらには 「自己実現」のスローガンが掲げられているが、それがどれほど非情な世界であるか は追々明らかになってくるであろう。ここでは“素朴さ”に陽をあてたが、素朴さと は、素直な心と云い換えてもいいかもしれない。それは地に足を着け、身の丈に見 合った考えをもとにした、とらわれないものの見方ができることであり、それは格好 をつけ、斜に構えたりしないことであろうか。そしてその先には柔らかい強さと物事 の核心と寛容の心にまで着地する可能性がある。それは素朴に、しかし深く考える、 と言ってもよく、素朴さといっても浅いくはなく、深いものなのでである。それは 「深い素朴さ」の通路なのかもかも知れない。 「シネマライティング」をしてみよう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ■参考【credit title ほか】 ◎公開情報 劇場公開 (ユーロスペース) 「友だちのうちはどこ?」(1987) 「KHANE-YE DOUST KODJAST?」 「WHERE IS THE FRIEND'S HOME?」、上映時間85分、製作国イラン、 初公開年月 1993/10/ 監督: アッバス・キアロスタミ 製作: アリ・レザ・ザリン 脚本: アッバス・キアロスタミ 撮影: ホマユン・パイヴァール 出演: ババク・アハマッドプール アハマッド・アハマッドプール ゴダバクシュ・デファイエ イラン・オタリ ◎上岡弘二によれば(『アジア讀本:イラン』1999 年,河出書房新社)「石油がイ ラン人の心を荒廃させてきた。」と氏の教え子のFさん(パフラビー大学:現・シー ラーズ大学)の発言を紹介している。労を得ずしての「遺産」が人々生活に如何なる 結果をもたらすかは、近時の日本人にとっても他人事ではない歴史を経験してが、F さんもイランの 歴史は、石油以前、石油時代、石油以降の三つの時代区分に分け、 最後の石油以降がイランの未来であるとしています。イランの若い人々の当事者意識 としては理解出来る。ただ日本人にとってのイラン理解は、ペルシャと云われた時代 の正倉院の御物:切子装飾を施したカット・グラスであり、ペルシャ絨毯、シルク ロード等など、つまり遠い国の認識。しかし近時は一転して1979年のイラン・イラク 戦争辺りから髭の労働者、変造テレカの立ち売り人として、この国の人々と身近な存 在(日本との間に1974年に発行した査証相互免除協 定は1992年4月に停止)。そ してイラン映画がイランのイメージを再び旋回させた一つが『友だちのうちはどこ ?』なのであろうか。 ◎イランならびに中東関係の「読書案内」「インターネットで見るイラン」「年表」 は 前述の(『アジア讀本:イラン』1999年,河出書房新社) に記載されてい る。親しみやすい編集。 ◎インターネット上の検索からは、第5回「イラン映画の魅力を語る」篠崎 誠(映 画監督)&市山尚三(プロデューサー)の記事(1999年/1月9日・土)が面白い。特 に【イラン映画の歴史】,【検閲問題】,【おすすめのイラン映画】,【イラン映画 の主要な受賞歴】は、博覧強記願望の方々には最適の資料。 ◎本稿は次の著作物を参考にした ㈰上岡弘二編『アジア讀本:イラン』1999年,河出書房新社。 ㈪村田信男編『白い風船:パンフレット』1996年,コムストック・ ジュニア。 ㈫伊藤聡子他編『運動靴と赤い金魚:パンフレット』1999年,?j%U!!%8%F%l%S%8%g ン。 ㈬濱口幸一他編『〈逆引き〉世界映画史』1999年,フィルムアート 社。 ㈭八尾師誠著『イラン近代の原像』1998年,東京大学出版会。 ◎アッバス・キアロスタミ作品群 *出典:『アッバス・キアロスタミ』編集人:土肥悦子+山崎陽一/1993.ユーロス ペース発行.& 『アッバス・キアロスタミ』−−真実は現実と虚構の彼方に−−編 集人:土肥悦子/1995.ユーロスペース発行&インターネット・ホーム ページ. 『パンと裏通り』 (1970) 監督:10分45秒 『放課後』 (1972) 監督:14分 『経験』 (1973) 監督:1時間 『トラベラー』 (1974) 監督/脚本:1時間12分 『一つの問題への二つの解決法』 (1975) 監督/脚本:4分45秒 『できるよ、ボクも』 (1975) 監督/脚本:3分30秒 『結婚式のスーツ』 (1976) 監督/脚本:59分 『色』 (1976) 監督/脚本:15分/実写+アニメーション 『レポート』 (1977) 監督/脚本:1時間52分 『休み時間をどう過ごそう』 (1977)(詳細不明):7分 『先生への賛辞』 (1977)(詳細不明):20分 『解決㈵』 (1978)(詳細不明):11分・16?P 『最初のケース,次のケース』 (1979):53分・16?P 『歯科衛生学』 (1980):23分・16?P/実写+アニメーション 『順番を守る、守らない』 (1981):17分・16?P 『コーラス』 (1982):17分 『歯が痛い』 (1983)(詳細不明):25分 『市民』 (1983):50分・16?P 『1年生』 (1984):1時間24分・16?P 『友だちのうちはどこ?』 (1987) 監督/脚本 :1時間25分 『ホームワーク』 (1989) 監督/脚本:1時間26分・16?P 『クローズ・アップ』 (1990) 監督/脚本:1時間37分←? 『そして人生はつづく』 (1992) 監督/脚本:1時間31分 『オリーブの林をぬけて』 (1994) 監督/脚本/製作 :1時間43分 《白い風船》 (1995) 脚本のみ 『桜桃の味』 (1997) 監督/脚本/製作 『風が吹くまま』 (1999) 監督/脚本/製作:イラン&フランス 『クローズ・アップ』 (1990) 監督/脚本:1時間37分 30分の記述もアリ、ドチラ?不明。
いまも煌(キラ)めき、旋回しつづける“天才ピカソ”
−−こども、家族に“見せたい”この気迫・努力そして根気−− ●“こども”時代が推理できる映画 “天才とは”どうゆうものモノなのか?、近代建築の天才といわれる、フランク・ ロイド・ライト(Frank.Lloyd.Wright.1866〜1959 or 1867〜1959)と、いつも(筆者 の)頭の中を併走しているのがパヴロ・ピカソ(Pabro Picasso)であった。建築家ライ トの育てられ方は、フレーベル(Friedrich.Wilhelm.August.Frobel.1782〜1852)の理 念に傾倒し、確信的フレーベリアンである母親による教育逸話は知られてるが、ピカ ソの場合はピカソという名前と作品の知名度に比べて、それほど過程のアーカイブは 知られていない。そんな想いに応えてくれた、いや関心を呼び起こしてくれたのが本 篇。アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の『ピカソ−天才の秘密』(1956)である。 本篇には“こども”は登場しない、というより主人公ではない。しかし“こども” “青年”時代がどんなであったかを推理したくなることは請け合える。そうゆう意味 では推理映画かも知れない。クルーゾー監督の気迫が漲っている。 とにかく初公開当時(1957)に観てから、幾度となく職業上の素材として俎上に載せ た映像であったが、半世紀経ったいま観ても・・・・・・その煌めきは失せるどころか輝き が増している。そう感じるのはなぜたろうか?。公式サイトの粗筋を眺めるかぎりで は、“ピカソ−天才の秘密”の頭出し程度の紹介である。いわく、・・・・・「画家ピカ ソの制作過程をドラマチックに記録したドキュメンタリー」、「創作の秘密に迫ろう という・・・・・・」、「『恐怖の報酬』のH=G・クルーゾー監督による異色のドキュメ ンタリー映画」、「白いカンバスに次々と描き出される多数のスケッチ」、「消して はまた表れて来るパノラマ絵画」、「ピカソ独特の奇抜な構図」、「壮大な迫力」、 「G・オーリックの音楽も見事」、「作る方の根気を感じさせる」・・・・・と。これが 文字情報の限界、仕方のないことなのだが。 本篇はクルーゾー監督の実力とピカソとの"協働 (コラボレーション)"によって、 初めて『ピカソ−天才の秘密』は開花することになる。 ・・・・・・創られてから半世紀 も経っているのでユーザーから寄せられた感想は少ないが、それでもその一つ、 「・・・・・天才の秘密はわかりませんでしたが ピカソがすごい天才ということはわかり ました。撮影方法のアイデアも秀逸・・・・・略・・・」には、まさに天才への関心・興味が 引き出されており、さすがはクルーゾー監督の手腕でもある。 原題、英文題は『LE MYSTERE PICASSO』、『THE MYSTERY OF PICASSO』。ビディオ 題は『ミステリアス・ピカソ/天才の秘密(リバイバル)』。78 分 。製作国 フラ ンス。ジャンル ドキュメンタリー。リバイバル →クレストインターナショナ ル-98.7。 そして監督・製作ともにアンリ=ジョルジュ・クルーゾー。撮影: ク ロード・ルノワール Claude Renoir、編集: アンリ・コルピ、音楽: ジョルジュ ・オーリック。出演は パブロ・ピカソ、 アンリ=ジョルジュ・クルーゾー、ク ロード・ルノワール。公開情報は東和を参照。 ●花を描いていたのが魚に、かと思ったら雄鶏に・・・・・・ 冒頭、ピカソが自分の頭の中を覗けますというナレーションで始まり、映像が進む にしたがってからは、観る側は『ミクロの決死圏』(R・フライシャー監督・1966)に 滑りこんだ冒険者のような気持ちになる。 ピカソの語りからの導入は、ピカソが絵を描いている様子をそのまま撮っている。 花を描いていたのが魚になり、そうかとか思った途端、それが雄鶏になり・・・・・最後 には牧神に行き着く。飛躍した言い方だが、こどもが「わっと」叫んで周囲の関心を 引き、周囲の反応を視ようとするような、そんな出だし。「わっと叫んで周囲の関心 を引く」・・・・・巧い演出である。さすがはクルーゾー監督の映像推理術ではある。何 だろうか?と訳が解らないままに進行している内に、“キュビズム”に呑み込まれて いく・・・・・、ノウテンキな美術館キュレーターの説明とは全く異なる展開は、映像の 持つ“文法”の一つであろうか。いや、クルーゾー独特のものなのか?。 初めに意図した想:「イマジネーション」が徐々に崩れ、変化していくアートのま さに論理がここにはある。セザンヌの影響を受けたピカソが、20世紀初頭にジョル ジュ・ブラックと並んで創始したといわれるキュビズムは、視覚上の革命的表現には 違いないのだが、ルネサンス以来の単一焦点描写に馴れきった世間一般にとっては、 この「わっと叫んで周囲の関心を引く」・・・・・ような複数の視点の散開、そこからの 対象把握と画面上での再構成、さらに進んで形態の解体、単純化、抽象化を連続的に 見せ、形態の革命の打ち上げには戸惑うのである。が、引き込まれるのも確実。さら に色彩の革命ともいわれるフォービズムとの連鎖も感じる。 現存する常識を覆すことを言葉だけで解説する限界への風刺は、ウディー・アレン の映画で見かけるが、観ているうちに、逆に言語と映像との相補関係の必要なことを 感じるのも確か。 ●『ゲルニカ』はパヴロ・ピカソのステージ 日本の義務教育の教科書に載っているピカソの「ゲルニカ」は、『ピカソ−天才の 秘密』を知るのに恰好の「絵」であろう。ゲルニカ (Guernica)はバスク語で「聖な る柏」の意を持つスペイン:バスク地方の小都市。『ゲルニカ』はスペイン内戦中に 空爆を受けた町(ゲルニカ)を主題に描いた絵画およびタピストリーである。 内戦の1937年4月26日、フランコ将軍を支援するナチスによって無差別空爆を受け たのが小都市ゲルニカであり、この報を聞いたパリ滞在中のピカソは、以前から人民 戦線政府の依頼を受けていたパリ万国博覧会スペイン館の壁画として、急遽、ゲルニ カを主題とした作品に取り組み、同年7月4日に完成させる。 スペイン内戦はフランコ将軍の勝利により終結する。詳細はさけるが「絵」はロン ドンなどを巡回してから2年後の1939年に渡米し、ニューヨーク近代美術館に保管さ れる。フランコ将軍の政権は第二次世界大戦後も続くが、スペインの自由が戻るまで この絵を戻すことはできないとピカソは拒否する。 ピカソ:1973年没。そして1975 年フランコ将軍の没後に、スペインとニューヨーク近代美術館との間に返還交渉がな され、1981年にスペインに返還され、現在はマドリッドのソフィア王妃芸術センター に展示されている。 ピカソは大戦後に、これ(『ゲルニカ』)と同じデザインのタピストリーを三点制作 しているが、そのひとつは反戦のシンボルとして、ニューヨークにある国際連合本部 の国連安全保障理事会議場前に展示されている。 ●ピカソのステージは『ゲルニカ』 モノクロームでキャンバスに油彩された“ゲルニカ”は、縦3.5m、横7.8mの大作。 その後の各部分の習作やタピストリー作品には彩色が施されている。・・・・・・・死んだ 子を抱き泣き叫ぶ母親、人間の目をした牛の顔、哮り狂ったように嘶く馬の迫力、窓 から室内に首を突き出す人物、天に向かって救いを求める人などなどが戦争の悲惨さ を訴えている。複数の視点、多角的な構成、形態の解体、単純化がキャンバスいっぱ いに拡がるが、イメージの解釈はさまざま。キリストの磔刑図の構成、闘牛やミノタ ウロスの神話などとの関連も指摘されている。 ●画家の頭の中の様子を覗ける 『ピカソ−天才の秘密』の冒頭でピカソが語っていた「画家の頭の中の様子をの覗 ける」のは、ピカソが絵を描いている様子をそのまま撮っているからである。撮影は 画家オーギュストの孫に当たるクロード・ルノワール。油絵は“厚いガラス”に描い ては撮影、描いては撮影という間断ない手法の中で、ピカソとクルーゾーとのやりと りも挿入されるため、つまり描くこと、語ることが連鎖する。加えて“ガラス”に描 く途上を「裏」から撮影(透かし撮り)するが、まさに秘密の描画分析である。聞く ところによると、最初は10分の短編のつもりであったのが最終的には78分。しかもガ ラスに描かれた作品20点の全ては、撮影後には破棄されたとのこと。撮影期間は1955 年7月〜9月のほぼ三ヶ月。1956年のカンヌ国際映画祭:審査員特別賞はアンリ= ジョルジュ・クルーゾーに。 "LE MYSTERE PICASSO"をInternet Movie Database で 検索・参考。 ●初めてクルーゾー監督の映画に出会ったのは“密告(1943)” 筆者がクルーゾーの作品に出会った順序は、1943年の『密告』が初めて。それから 『情婦マノン』(1948)、『恐怖の報酬』(1953)、そして『悪魔のような 女』(1955)・・・・・へ。最初の『密告』の印象は“カラス”と署名された怪文書が、フ ランスのとある田舎町にバラまかれた発端から増幅する噂が生き物のように拡がって いく怖さの記憶がほとんど。原題は『LE CORBEAU』:カラス(94 分)。 『ピカソ−天才の秘密』の中で、簡単な線の幾つかが集まって、そこにおぼろげな 輪郭が創り出され、それが次第に1枚の絵に見えてくる・・・・・、あの瞬間が『密告』 の広がりと結論へと向かう情景とが二重写しとなる。『密告:LE CORBEAU』が日本で 公開されたのが1950年(昭和25)。敗戦後、日本で起こった諸事件との連鎖が妙に生々 しく感じたのはそれが原因かも知れない。"LE CORBEAU"をInternet Movie Database で検索・参考。 ----------------------- 「補1」 ○『ピカソ−天才の秘密』は、モノクロのスタンダード画面から始まり、やがてカ ラーが混じり、スクリーンサイズもスタンダードからシネマスコープになる。同時代 に視た羽仁進監督の「絵を描く子どもたち」(1956)のパートカラー、『初恋 地獄 篇』(68)の画面の縮小などの連鎖に驚く。『ドリアン・グレイの肖像』(1945)もパー トカラーだった。 「補2」 ○ ピカソのデッサン 対象を写実的に描く必要はないとの強調は「デッサン不要論」にまで発展した風潮 だが、多くの開催されるピカソ展には必ずといってよいほど、彼の若い頃のデッサン が展示される。近代絵画の基底力とデッサン力との連鎖を、ピカソのデッサン力と併 せて視るのもピカソりの「秘密」を知る手掛かり。生涯におよそ13,500点の油絵と素 描、100,000点の版画、34,000点の挿絵、300点の彫刻と陶器も制作。最も多作な画家 であるとギネスブックに登録される。 「補3」 ○ DVD: 『ミステリアス・ピカソ 〜天才の秘密』 情報惹句には「“私の絵画は破壊の集積だ”…鬼才アンリ=ジョルジュ・クルー ゾー監督が天才ピカソの創造の秘密に迫る!。この作品でしか見られないピカソの創 作風景も必見」「モノクロ(一部カラー)収録時間:80min.」「日本語字幕 音声:フ ランス語:モノラル スタンダードサイズ(一部シネスコサイズ)」「片面1枚 [発 売日]2006/01/28」紀伊國屋書店 (紀伊國屋書店) 2006/01発売 特価:\4,536(税込) [定価:\5,040] 値引額:\504(10%OFF) 「補4」 ○パブロ・ピカソの諸要約については、 フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』に・・・・・。1 少年時代 、2 作風 、3 私生活 、4 平和主義 、5 晩 、6 その後 、7 外部リンク
◎原題:THE CINCINNATI KID。40年前の本篇の魅力は・・・・なんといってもノーマン・ジュイソン Norman Jewison監督、そして、スティーヴ・マックィーン Steve McQueen、エドワード・G・ロビンソン Edward G. Robinsonというお二人の役者さんの揃い踏みあると思っています。
◎作品のテンポは、“緊張感”のある活字をゆっくり読むような調子。それにレイ・チャールズが歌う雨のニューオリンズが絡んだ、紫煙が眼に浸みるような映像の再視聴でした。 演技派としてのマックィーンも佳いが、エドワード・G・ロビンソン Edward G. Robinson(1893-1973)を、こんなにも間近に視たのは初めて。・・・・彼はルーマニア/ブカレストの出身だったのを今頃になって知りました。 没前近くの作品には想い出はありませんが、いわゆる戦前に創られた/「運命の饗宴」(1942)/は、敗戦色が残る頃(1946?)、予備校の帰途、新宿伊勢丹の通りを挟んだ角ビルの最上階:“???セントラル”という劇場で視た記憶はいまでも強く刻まれています。 ◎運命の饗宴(1942)/TALES OF MANHATTAN/は結構長い映像でした。監督がジュリアン・デュヴィヴィエ Julien Duvivierという大御所に加えて、シャルル・ボワイエ、リタ・ヘイワース、ヘンリー・フォンダ、ジンジャー・ロジャース、チャールズ・ロートン、トーマス・ミッチェル、そしてエドワード・G・ロビンソンという・・・・・早くNHK衛星放送で視聴させて欲しいものです。、 ◎ジュリアン・デュヴィヴィエ得意のオムニバス映画で、1940年代のスターがずらっと並んだのには驚かされたものです。全6話のうちの第4話に、落ちぶれた男としてエドワード・G・ロビンソンが、借りた燕尾服を着て名門大学の同窓会へ行く・・・というシーンで、ロビンソンの演説が、しみじみとした味を出していました。 第6話のラストで、ゴルゴダの丘のような所に立てられた燕尾服の案山子を前にして二人の俳優が唄うシーンが・・・・・・・・。 ◎ 横道に逸れましたが、"THE CINCINNATI KID"をInternet Movie Database で検索して、「CINCINNATI KID」の結末がいくつもあるのだと、これは初めて知りました。知見満杯の視聴者からの知識によるものです。 # by osamu-miya | 2006-02-02 07:29
# by osamu-miya | 2006-02-01 23:02
◎アメリカ/ニュージャージー州ニューアーク出身の、アーネスト・R・ディッカーソン Ernest R. Dickerson=アーネスト・ディッカーソン Ernest Dickerson(1951−)監督の作品は眠気を覚ますほどの迫力。働き盛りの気迫と感覚の鋭さが全編を覆う。
◎非業の死を遂げたストリート系小説家ドナルド・ゴインズ氏の同名小説とのこと(未読)。 本篇の狂言廻しのポールという記者役の俳優の巧さは抜群の感。 ジェームズ・ギブソン氏の脚色がまた佳い。文字と映像の重なり具合は見事。主人公のキング・デビッドの末路はたいして面白くもないが、ゴインズ氏の殺されるまでの雰囲気が本篇に溢れている気がします。 潜入記者の家庭生活の一端も垣間見えるが、それにも生活描写の迫力がある。映画は途中からの視聴なので、記者と作家ゴインズとの関係はわからない。蘊蓄派の知見では、アーネスト・ディッカーソン監督は『マルコムX』の撮影監督とか。道理で映像の切れがイイ # by osamu-miya | 2006-01-31 23:00
◎大島渚監督の作品(本篇)に出会ったのは「青春残酷物語」(1960).「日本の夜と霧」(1960)を視た後だったことを覚えている。2篇とも松竹系の映画館で上映していたので、松竹らしくない「場」でと・・・・、強い印象がいつまでも残っていた。
当時、学生の政治所属、関心は鮮明だったため、僅かな差異に対してもスクリーンへ向かって罵声・怒号を浴びせ、映画館が殺気を帯びていたこともあって、以上の2篇を視た後『愛と希望の街』という、いかにもホームドラマらしい題名の作品が大島渚監督だったことを知り、後追い的に探して視たことも思い出す。 ◎粗筋よりも階級差の鮮明な映像だったという記憶は、再視聴の現在も変わらない。・・・・・乾いた映像だったという記憶も同じ。 本篇を現在の青年・子どもたちがみたらどんな印象を持つだろうか?と、ふとホリエモン現象の賛否にまみれる現実に戻ってしまう。 ◎貧困から帰巣本能を利用したハトを売る少年と、大会社の重役の娘の正義感の差、内容の「襞」など、そこに流れる倫理的感触など皆無の時代ではないか?。・・・・・などなどへと思いは馳せる。 ◎若い人たちに大島渚監督のことを聴いてみたら、ボキャブラの審査員、『戦場のメリークリスマス』の監督までは記憶のある人もいたが、「青春残酷物語」(1960).「日本の夜と霧」(1960).そして本篇までをつづけて視ているひとなく、歴史の風化を感じる。 # by osamu-miya | 2006-01-30 22:58
◎再度の視聴。
アメリカ/ニューヨーク州ニューヨーク生まれのリチャード・ドナー Richard Donner(1930-)さんの本篇は、いかにもNY育ちの映像感覚の片鱗を視る思いです。 ドナー作品は本篇よりも、「オーメン」(1976)のほうが著名のようですが、『グーニーズ』や製作総指揮をされた『ロストボーイ』(1987)のほうが好きです。ふとみせる切り口が、「父よあなたは強かった」の原研吉監督の一部に重なったりもします。 交通博物館、イマやすっかり秋葉原電気街の麓に入ってしまった交通博物館付近を回遊すると、敗戦前の東京・神田の佇まいと、そこに行き来する人たちが浮かび上がります。原監督にはそうゆう時代の雰囲気を切り取る感覚があったような気がします。明るくはないけど、「路傍の石」のラストなど・・・・あの貸間のビラが風に吹かれている先の予兆など、・・・・また交通博物館の前庭にあった軍神広瀬中佐の銅像と「父よ・・・・・」の儚さを先行させていたような・・・・。 ドナー監督の仕事にも、騒いでいるように見えて先の不安が顔を覗かせている予感があります。 # by osamu-miya | 2006-01-27 22:56
◎主題曲『ハイヌーン』は半世紀経ったイマでも蘇る。邦題よりも原題のHIGH NOONのほうが佳い。
◎本篇を現在の政治に重ねて視ている視聴者の「感想・断片」は面白い(余丁町のお方のブログ)。 とにかくフレッド・ジンネマン Fred Zinnemann 監督。スタンリー・クレイマー Stanley Kramer製作。ディミトリ・ティオムキン Dimitri Tiomkin音楽・・・・そして ゲイリー・クーパー Gary Cooper & グレイス・ケリー Grace Kelly 出演のセットとくれば、再度も、再々度も視ないワケにはいかないし、視れば抜群に、記憶通りの面白さ。 ◎現在の政治にダブらせた視聴者(前述)の感想までは気がつかなかった・・・・・・・・。なんと小泉首相とブッシュJr大統領とが本篇を挟んで話し合い、意気投合したというお話は傑作。合衆国が主人公。日本が奥方・・・・・というわけ。日本はアメリカを本気で助け、アメリカも日本を見捨てない・・・・・・。この譬えは、本気でブッシュ氏と小泉さんの双方の思い込みなのか?。それとも駆け引きなのか?。そして、これに民主党の面々がついていけないのは、『真昼の決闘』を知らないのか?、・・・・・・・・もしそうだとしたら小泉さんの勝ち・・・・。 ◎・・・・・でも、いろんな人間関係のケースに譬えられるということは、普遍性の場面が溢れていて身に浸みるということことなのでしょう。 ◎新妻(グレース・ケリー)は敬虔なクエーカー教徒。人を殺傷することは戒律で禁じられている。「・・・・日本も戦争厳禁」、だが亭主の危機を救わねばならない。「アメリカの危機」:亭主の危機。どうすればイイ。あなたならどうする?。素晴らしい教訓映画です。一転してホリエモンを誰が助ける!。おいでならばお見事。「お金で買えないものなどありはしない」と豪語した主人公の破綻を誰が救う→チチエモンか?。 ◎本篇では“無法者”はグレース・ケリー:「どこの国」?、「日本国」?を殺そうとはしなかったというのが、小泉首相の安全弁なのか?。・・・・・果てしのない隠喩になりそう。 ◎オーストリア/ウィーン生まれのフレッド・ジンネマン Fred Zinnemann(1907−1997)監督の作品が意外にも少ないのに驚き。■「ジャッカルの日」(1973)、■「地上(ここ)より永遠に」(1953) 、そして本篇の記憶いつもある。初めての作品:■「思議な少年(1946)」は未見。 # by osamu-miya | 2006-01-26 22:53
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